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楽に(*^^*)+★:*.

こんばんは(^^)今日長くなりますが、自分の中でとても大きな気付きがあって、それを話すことで誰かひとりでも必要な方に届けばいいなと思うので話します♪

最初少し重いかもしれませんが(笑)、もしよろしければお付き合いください。

まず私の話からしますね!

 

私は小学校3年生からハンドボールを始めました。

きっかけは、学校で高学年のお姉さんたちがしてた、「今日ハンド行くー?」「うん行くよー♪」と言う会話をたまたま聞いて、それがかっこいいなーと思ったことでした。ハンドボールが何かも知らなかった。

始めてみて、ハンドボールが楽しかったのか、何かに打ち込むことが刺激的でたまたま出会ったのがハンドボールだったのかはわかりませんが、とにかくどんどんのめり込んで、あっという間にハンドボール中心の生活を送っていました。

私は覚えていないけど、「ハンドボールコートで死ぬ!」と言っていたそうです(笑)友だちにめちゃくちゃ言われる(-_-)

小学校低学年にも関わらず平日も土日も練習。全然苦ではなかったです。今思い返すとすごく不自然だとわかるのですが、正当な理由があって練習を休んだのに、翌日顧問の先生に「昨日はどうして休んだの?」と聞かれてとても罪悪感を感じたのを覚えています。

学校生活も、勉強も、ハンドボールも、全てにおいて真面目。俗に言う優等生でした。自慢してるのではありません。「優等生=良い」だと思ってないから。

そんな自分であることに自信と誇りはあったけど、一度男子ハンドボール部の同級生に集団無視された時期があって、すごくショックだったことを今でも覚えていて、

多分それが最初のきっかけかな、「私は真面目過ぎるから、近寄りがたい、暑苦しい、仲良くしたくない存在なんだ」っていう思い込みが生まれて、そこからずっと、「ハンドボールをやっている女子」以外と仲良くなるのが苦手でした。

「近寄りがたいだろうから、こっちから仲良くしても恐がられるだろうから、私もみんなと砕けてふざけたりしたいけどどう接したら良いかわからないし拒否されるの怖いから、自分から近づかないでおこう」という、今ならわかる本当の気持ちを隠そうとして、弱い自分を見せないために自分で勝手に作り上げた、「強い」っていう自分のあるべき姿でい続けてきた、い続けないといけないと思ってきた、のかなと思います。

そのためには、ハンドボールも勉強もできる優等生でいないといけなかった。

 

もちろんハンドボールは大好きでした。でも、続けてきた理由はそれだけじゃないと思います。

ハンドボールから離れることが考えられなかった。怖かった。ハンドボールが私の存在意義で、ハンドボールで目立っていない私は価値がないと無意識的に感じていたんだと思います。

だから進路でハンドボールをやらない選択をする人が、私にとってはすごかったです。

根底にそれがあったまま大学に進学し、それまでの人生で一番の挫折を味わいました。

私は高校生の時までエースポジションで、キャプテンで、みんなに頼りにされてきた。大学でもそういうキャラクターでいけるもんだと思っていた。

でも私は大学ではサイドをやれと言われました。

今から言うことは、サイドプレーヤーの方にはとても申し訳ないです。今は本当に全くこんな風には思っていませんが、

当時の私にとっては屈辱的でした。

冷静に振り返ると、当時のメンバーを見てチームのバランスを考えると妥当だと思えるのですが、「私がフローターとしてダメだからサイドをやれと言われたんだ」としか思っていませんでした。

納得いかなかった。何度も直談判しに行きましたが跳ね返されました。怒りで吐きそうになったのは後にも先にもあの時だけです。

当時は本当の意味で納得することはなく、結局モヤモヤを抱えたままサイドで大学生活を終えました。

 

根本にあるものが変わらないまま実業団に行ったもんだから、調子が良い時はいいけど、交替させられた時はいつも「私はダメだ。」と、プレーじゃなくて自分を全否定されたように感じてしまって必要以上に落ち込む気持ちと、恐らくその悲しさから自分を防衛するための「なんで交替なんだよ!」という怒りの感情の負のスパイラルでした。

そしてある時期をきっかけに、その負のスパイラルからきた自己否定感が、自分の感情の基本になってしまいました。

私の主観ですが、そこから立ち直ることができずに、自分が納得できるプレーに戻れないまま現役生活を終えました。

前にもお話ししましたが、完璧主義だったんだなー。悪い意味です。

私の場合気質も環境要因もあると思うけど、本当に視野が狭かった。心の中で自分の殻に閉じこもってたなー。

 

 

これじゃ大好きなハンドボール楽しめない。というか楽しむのが怖い。

のびのび楽しんでこそ最高のパフォーマンスが発揮できると思います。

それに何よりも、ナイスプレーをして笑ってガッツポーズをしている姿は、指導者だとか関係なく単純に感動します。

楽しい、好き、幸せが伝わってくる。

逆に笑顔の一つも見せずプレーしていると、悲しくなります。

ハンドボールを嫌いになりませんようにって思います。

そして余計なお世話かもしれないけど、もしかしたら今現役の選手の中に、前の私みたいに感じて心から楽しむことができずに苦しんでる選手がいるんじゃないかなって思います。

 

ちょっとこれ言うの恥ずかしい照れ臭い気持ちもあるんですが、そんな人がもしいたら、

 

ありのままで素敵なんだから、いいときもそうじゃないときも受け入れて、焦らず気負いすぎずに今できることをやればいい。調子が悪いと感じていても、逃げずに闘っているから自分を信じていい。(たまにはちょい逃げもいい!と思う私は(笑)本気で辛くて苦しい理不尽さなら逃げればいいと思う。)見てる人は見てる。でもわからないことを信じ続けるのもエネルギーがいるから、疲れたら感情に蓋をしないで、辛いときは辛い、苦しいときは苦しいって、話せる人に話す。それだけで軽くなる。自分にもっと優しくしても、なにもバチはあたらない。息抜きして余裕を持つことは、楽しむことは、悪いことじゃないよ〜(^^)

 

と、言いたいです!あー恥ずかしい!(笑)

 

その人はその人でしかないし、誰も私になれないし私も誰にもなれない、

その人が経験することはその人にしか経験できない。それを経験して、「自分」をもっともっと「自分」にしていく。

だから過去の後悔とか未来への不安とかに縛られずに、今のありのままの自分を受け入れたら自然と焦りは消えて楽しめると思いますよ〜(^^)

そしてそれができるようになったら、冷静に自分のプレーを分析できるようになるし、周りの意見も素直に受け入れられるようになる。そして身軽になった上で自分のやりたいプレーを思いっきりやる。失敗したら失敗したでまあいっか!

今だけが全てじゃない。ハンドボールしている自分だけが全てじゃない。

こう考えるの、前は意味がわからなかったし悪いことだと思ってたんですけど、今はわかります。逆にこう考えることができたら、肩の力が抜けて、楽しんでプレーできるようになると思います。

っていう意味での、「ありのままで素敵」!

 

 

と、人に言うのは簡単だけど私もまだまだ視野狭くなって焦っちゃうことありますけどね!でも少しずつ、今言ったことを実践したら実感できるようになってきました!

 

なんかただ苦しかったみたいな内容になってしまったけど、決してそうじゃ無くてこういう一面もあったっていうことで、ずっとハンドボールは大好きだし楽しいときももちろんたくさんありましたよ(^^)

ハンドボールと出会えたおかげで味わうことができた幸せがたくさんたくさんあるし、辛かったことも成長のための学びでしかないからそれらも全部含めて幸せです(*^^*)

 

 

辛いとき無理に笑う必要はないけど、笑っていられる日が増えていくといいな〜と思います(*^^*)

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました☆

 

 

 

 

 

 

 

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