メニュー 閉じる

無条件での「指導者=正しい」は、良くないと思う!

こんばんは!

自分のために思うままに書きますので、必要な方に届くといいなと思います(^^)☆

 

 

リーグが始まりました。

まだ2戦?もう2戦?

兎にも角にもこの2戦で、すでに大きな気付きがあったなと思います。

 

指導者って、時に理不尽になれるかって大事だな、と、あくまでも私はですが思います。

怖くないと言ったら嘘になります。理不尽な大人は嫌いだと思っていた分、そう思われるかもしれないことを知っていながら自分がそうなるのって。

でも選手がそれでたくましくなるなら、絆を深めるなら、それも必要だと私は思います。

選手の可能性を信じているから。

究極を言えば、自分の直感のままに行動します。

そこに「どう思われるか」とか「常に正しくありたい」とかっていうエゴはいらない。

 

 

(私の)指導はいつも「正しく」ないと思っています。

選手に疑問を持って欲しい。

無条件で「指導者が言っていることは正しい」と、思い込まないで欲しい。

意見を聞いて、自分で考えて納得して、やる。もし納得できなかったり、苦しさ、辛さ、違和感を感じたりしたら、一人で抱え込まないで仲間に相談して欲しい。指導者にも直接ぶつければいい。

 

 

 

 

 

心配って、結局は自分を守っているんだと思います。

命に関わることとか、現実的なことではなく、内的なことに対する心配。

人の感情は人のもの。

その人がどう思うか、捉えるかは、こっちがどんなに心配しようが変えられない。

本当にその人のことを思うなら、

「本当のことを言ったら傷つくかも知れないから」

じゃなくて、

相手の可能性を信じて、自分が思ったことは素直に伝える。

それ言えないなら相手を信用していない。

=自分を信用していない。

 

 

ダメだとわかっていながらやってしまったミスなどに対して「本人もわかっているだろうから言ったら傷口に塩を塗る」と、何も言わないでいるのは優しさじゃないと思います。

それも人の心配するふりして自分守ってる。

 

 

「心配だから私が助けてあげなきゃ」の過保護も、それは人の心配じゃなくて自分の心配。

 

 

 

過去も含めて自分を許せていないと、完璧主義になったりパラノイド認知働いたりするんだなと私は経験から学んでいます。自分を信用していたら、自分に心を開いたら、そこがスタートになって相手や環境、起こることすべてのそのままを素直に受け入れられるようになると思います。

 

 

 

 

思い込み、刷り込みにより自分を制限することはもったいないと思います。

人は他者や環境の中で育ってるから、

それによる思い込み、刷り込みは誰にでもあるそうです。

全部「自分が未熟なんだ」「自分が悪いんだ」と思わない。

 

 

虚勢張らなくても、頑なに自分を守らなくても、

そのままで、ありのままでみんな素晴らしい。

 

 

 

虚勢張ってた、自分守ってた私ですが、だからこそ、

自立を教えてくれた人たち、環境に出会えたおかげで、自分の意見をこうやってオープンにすることに挑戦することができています。

 

本当、年齢とか、立場とか、キャリアとか関係ない。ただ自分の役割を全うするだけ。そのままの自分受け入れて、自分の可能性を信じるだけ。

そして自分が自分を信じられるようになれば、他人にどう思われるかは気にならなくなって、自分の道を進むことができる。

 

 

 

過去の意味付けは自分で変えられる!

 

結局愛だと思うんですよね!

 

私は愛で全てを叶える♡!

 

 

 

リーグ頑張ります!頑張りたいから、頑張る(^^)

応援してください!

 

読んで頂き、ありがとうございました(*^^*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。