今回のブログは、いつも以上にたくさん時間をかけて、想いを込めて、丁寧に綴りました。
そのくらい、伝えたいと思う学びがありました。
多分今までで一番長いと思いますが、時間があるときで構いませんので、もしよろしければ最後まで読んで頂けると嬉しいです。
ここ最近ずっと書いていてまた今回もこんなことを言うのは、読んでくださる方の気分を悪くするんじゃないかと気が引ける思いもあるのですが、
今思えばこの2月と3月、本当に苦しかったです。
この期間、選手たちと、
個人で、学年で、チームで、
話を聞く、話をする、叱る、
いろんな形でたくさんぶつかり合いました。
一難去ってまた一難。
「壁乗り越えた〜!」と思えたり、息抜きできる日があったり、自分にご褒美をあげたりしても、今思うとそのとき得られた満足感というのはいっときだけのもので、
ずっとどこかモヤモヤしていて、
でもそのモヤモヤの原因が自分でもわからなくて、
出口の見えないトンネルの中を走っているような感覚でした。
現役時代を含めて21年間で初めて、
「ハンドボールから離れたい」
と思いました。
(これは一時的なものであり、必ず戻れるということは自分でわかっていました。)
具体的にどんなことがあったのかはここでは言いませんが、そのぶつかり合いに対して選手へ私なりの答えを出すとき、いつも私の中にあったのは、
「そんな考えは甘い!」と「でも気持ちはわかる。」
との葛藤でした。
私はこのブログを始めた理由として、
「自分の経験を通して、心理的問題が原因となって自分自身が持っているパフォーマンスを発揮できない選手がおもいっきりプレーできるように導ける指導者になりたいし、それを自分の強みにしたいと考えています。
特に女子の場合は、良くも悪くも考えすぎちゃう子、真面目すぎる子、自己否定感が強い子・・・などが多く、パフォーマンスへの影響も大きいように感じます。」
ということを述べました。
つまり、「自分がそうだった」と言っているわけですが、
「それが選手としての自分の精神的な未熟さから来たものだった」
というこは、
恥ずかしながら今わかりました。
どういうことかというと、
「『自己実現』ができていなかった」
ということです。
今読んでいる、加藤諦三さんの著書、
「『やさしさ』と『冷たさ』の心理」
の中に、
「欠乏に動機づけられた人は、満足が主に他人の言動によってもたらされる。彼らの主な欲求は、他人の自分に対する反応によって満たされる。だから、そばにいる人への欲求が強くなる。
また逆に、他人の自分に対する反応によってひどく傷つく。傷つきやすい人というのはまだ自己実現に関心のない人ということであろう。」
「ところが、自己実現している人にとって、他人の自分に対する反応はそれほど重要ではない。自分の主な満足は、他人の自分に対する反応によって得られるのではなく、自分の内的な成長によって得られる。」
とありました。
北國銀行での選手時代、自分のプレーが伸び悩んだ時期の私は、
加藤諦三さんのいう「自己実現に関心のない人」
であったんだと思います。
というか、そうだから伸び悩みっぱなしだったんだと思います。
これは自分をほめているのではなく、そういう事実があったということの説明ですが、
もともと、一人で黙々と努力することは得意で、昔からよく「真面目」、「努力家」と言われてきました。
だから、「自分独りで努力する」ことだけで得られるパフォーマンスの向上で済むステージでは、私なりに満足のいく結果がついてきました。
でも、ステージのレベルが上がると、それではうまくいかないんですね。
そこで前々から述べている、「自己開示」、「人を頼る強さ」が必要だったわけですが、それができなかった。
「自己実現」ができていなかったから。
実際、出場時間が減ってきた頃の私は、一見では
「試合に出たくて努力していた」のですが、そこには、
周りの人に「あの人試合にあまり出なくなったよね」と思われること(=他人の自分に対する反応)への怖さがありました。
だから誰かに「頑張っているね」、「努力しているね」と言われるとほっとしている自分がいた。
そういったことに漠然とですが少し気付けて、成長できたかなと思えるのは、引退することが決まった最後の1年の、しかも後半でした。
他力本願は良くないと思うから、自分のことはまず自分でやるけど、
「他力本願」と「(自己開示して)人を頼る」ことは違う。
人生が進むにつれて自分の力だけでは解決できないことが増えてきて、
そのステージに行ったとき、私は壁にぶつかって、根本的に解決できないまま現役生活を終えてしまった。
私は以前まで「他力本願は大嫌い!」だと思っていましたが、それは自分がそうできないから、「羨ましい」の裏返しだったんだなと思います。
そして指導者になってこの1年間も、「自分の未熟だった部分」に気付くこと、それを認め受け入れることができなかった。
だから選手に対しても、「それは甘いよ!」とどこかでは感じていても、自信を持ってそう指導することができなかった。
「選手の気持ちがわかるから」と言って、選手に寄り添っているつもりだっただけで、
これまでの自分を擁護しているだけだった。
そしてずっと探していたモヤモヤの原因は、
このことによって「自分の指導を確立させることができていない」
ということだったと気付きました。
前回書いた、
「『やりたいこと』『やりたくないこと』、『やるべきこと』『やるべきではないこと』の境界線というか、そこの判断基準を自分の中で見極めるのがとっても難しくて悩んで葛藤して、結果、今もまだ模索中です」
というのも、これが原因だったとわかりました。
そして選手の中にも、以前の私と同じようなことが原因で、目標に対しての取り組みや考え方が甘いと感じる子がいます。
でもそうさせているのには自分にも原因があった。
「選手の気持ちがわかる」のは強みだとは思っているけど、
私は親でも姉でもカウンセラーでも占い師でもなく監督なのに、
全ての役割を果たそうとしていて、
それは選手のためを思って、という「つもり」だっただけで、
深層心理では自分を擁護していたが故の行動だったんだと気付きました。
厳しさは必要だと考えているけど、その意味を「今わかってもらおう」とするのは、
「厳しいことを言うのは本当は私も嫌だけど、こういう意味があるから頑張ろうね」と言うのは、
自分を守っているだけ。
例えば個人的に、「人生の先輩として」対話しているときは「気持ちがわかる」ことのメリットを活かして対話すれば良いけど、
監督としてチーム全体の前に立っているときは、それはいらない。
公の場(私の場合はチームを前にして指導をしている場)で完璧であろうとするのは、自己実現のためではなく、
全部やらなきゃ、完璧でいなきゃ、いい人でいなきゃ。だって本当の自分でいたら周りに受け入れられないんじゃないか。と、周りの評価を気にしていたから。
それが「自己実現ができていなかった」ということ。
自分が確立されていないから、最近練習中虚勢を張って怒るばっかりで、心から叱ったりほめたり笑ったりしていなかった。
選手が精神的に未熟だとか自立しているとかは別にして、選手にも戸惑いがあったんじゃないかなと思う。だって監督が戸惑っていたから。そこは悪かったなと思います。
でも今は、「このチームで勝ちたい。勝つチームを作る指導者になりたい。」という自分の本心というか野心が、はっきりと見えました。
そして選手に、ここではすごくざっくりと表現しますが、
「勝ちたいなら、ユニフォームを着る16人に入りたいなら、『自立』してください。
『自立BEST16』でないとチームの目標達成にチャレンジできる土俵にすら立てない。」
と明確に伝えました。
何をすれば勝てるのか、何をすればユニフォームを着られるかなんていう確かな答えはない中で、
目標に向かって自分で考えて努力する力=自立。
それがないとどんなに技術があっても大事なときに力を発揮できない。逆にその精神力があれば多少の技術の差はカバーできる、むしろ上回れる。と、私は考えています。
だから選手に、全てを今わかってもらおうとする必要はない。
答えがわからない中で自分を信じて努力し続けるって、とっても勇気がいることだと思うけど、
それこそが勝つためには本当に必要な力だと考えるから。
選手の課題と自分の課題はリアルタイムでリンクしているから不思議です。
教えているようで、教わっている。
育てているようで、成長させてもらってる。
目の前のことから逃げずにそのときの自分ができることをやっていれば、物事の本当の意味は、その人にとってベストなタイミングで気付かせてくれるできごとが起こる。
だからこれまでの自分を責めるのではなく、あのときの未熟な自分がいたからこそ、天職だと思う仕事に就けている「今」というベストなタイミングでこのことに気付くことができたんだと、自分を認めて受け入れることができています。
一年目は勢いでどうにか突っ走って来れたけど、ここからはそのままではいけないよ、ということ。
本質に気付くまで本当に本当に辛かった!!
でも振り返るとたくさんの人、できごとに支えられていて、
指導の場においても、それ以外の場においても、辛くて落ち込むこともあったけど、全てがこのことを気付かせてくれるために起きたことだと今は言えるから、
どんな形かは関係なく、私に関わってくれた人に本当に心から感謝します。
そしてここからは、一人の「女性指導者」としての私の意見です。
少し前、突如結婚願望が湧いていました。でも振り返ると、その時の私の結婚願望には依存心があったと思います。
私は、お互いに自立した人間同士であるからこそ、どの場においても良い関係が築けると思っています。それは恋愛、結婚においても。
よく周りの方に、これはすごく端的な言い方ですが、「その年でその職業じゃ、結婚難しいね〜」というようなことを言われます。
心配して言ってくれているのはわかるので怒ることはないし、まあ世間的に見たらそうなんだろうな、とも思うのですが、いつも心の奥では違和感を感じていました。
私はこの1年、特にこの苦しかった期間で、「仕事もプライベートも人から学ぶということは変わらない。だからわけて考える必要はない。」と友達に言われたこの言葉の本当の意味を、身をもって学びました。
よく「仕事とプライベートの両立」と言いますが、そもそも「仕事」と「プライベート」を別物だと考えるから「両立」という言い方がされるのではないか、
お互いが自分の人生を歩み、相手の人生の歩み方を尊重することができる関係、
お互いが自立し、お互いの人生をより良くするための恋愛や結婚と考えれば、
やっぱり「両立」という言葉を使うのは違うんじゃないかな、と思います。
だけど今はまだ社会的に、女性が自分の本当にやりたい仕事をしながら結婚、出産をし、またその仕事に復帰するのは厳しいのが現状だと思います。
結婚して、育児休暇を取って、その期間はしっかり子育てに専念して、
そしてまた仕事の場に戻る。
ということが、本人が望むなら当たり前にできる世の中にする。
一人ですぐに変えられるとは思っていませんが、変えていくうちの一人になれたらいいな、
そしてこれから同じような道を歩む人に勇気を与えることができたらいいなと思います。
今回の壁本当に高かった・・・乗り越えるの時間かかったー(>_<)
でもその分、指導者を続けるに当たっては軸となる大切なものを自分の中に築けたと思います。
「やるべきことをやっていれば、目の前のことから逃げずに取り組んでいれば」と自分では言っているものの、その前に自分が逃げずに取り組めているのかすらわからなかった。
言えるのは、現状に満足せずに高みを目指していたからこそ、次のステージに行くための壁にぶつかれた!
とは思うのですが・・・、
それにしても・・・、
今後これより高い壁が立ちはだかるのかと思うと、今はゾッとします(泣)
まあ、私は乗り越えるんですけど、
ちょっとさすがに2年後くらいにしてほしい(笑)←
そしてその時までにもっと自立して、
自立した上で支え合える人がいればいいなあ〜
と、思います(^^)
今日から大学院の授業が始まりました!!
早速スポーツ心理学のゼミがあったのですが、初日にして、勉強になることがたくさんありました(@_@)!!
忙しくなるとは思うけど、とってもワクワクしています(*^▽^*)
終わった!!達成感!!
いつも、あくまでも私の考えです(^^)
最後まで読んでくださって、ありがとうございました(*^^*)