今日は、私がよく読んでいる、感情探偵さん(https://twitter.com/kanjoutanntei?s=20)
の記事を読んで思うこと。
https://kanjoutantei.com/感性が合う人・合わない人ってどういう人?男女
感情探偵さんは逆エンパスについてのブログ等もたくさん書かれており、読むとすごく私自身の整理や答えあわせになるので愛読しています。
今日のブログは自分自身の整理のために書くので、
興味のない方はスルーしてください^^
感覚を言語化することで、内側が整理される
感覚でわかっていることを言語化するってすごく難しくて、エネルギーがいる。
だって、勉強しなくても、理解しようと頑張らなくても、
”わかって”しまうから。
多分スポーツにおける”天才”の、そんな感じ。
できちゃうから、説明できない。
だから「天才は指導者に向いてない」なんて言われる。(それが真実か否かは別として。)
私は、ハンドボールに関しては全然天才じゃない。
あー、いや、高校までは感覚で通用してたけど、それもテクニックや知性というよりもどっちかというと気合いと根性だった。だから天才どころかむしろ自分が馬鹿とわかっていないプライドの高いクソ真面目(笑)(言葉遣い悪いけど卑下してる訳ではない。)
ハンドボールの基礎全然理解してなかったから大学で壁にぶつかって、
実業団で0から教わって、
2年指導者やることでアウトプットたくさんして、
やっと整理、理解できたかなって感じ。
書いてて思ったけど、そんな私の場合、
現役時代に敢えて言葉でもっとアウトプットしておけば、
プレーでの表現ももっと器用にできていたかも知れない。
現役中よりも指導者やってる時の方が、知的なプレーができてた^^;
(環境が違うからそれだけが理由じゃないけど!)
・・・とまあハンドボールに例えていうとそんな感じで、
最初に戻るけど、
感覚を言葉にするってすごく難しい。
私は感受性が豊かなので、目に見えないいろんなものを、たくさんの情報を、受け取ってしまう。
語弊があるかも知れないけど、”わかってしまう”ことがある。
でも目に見えるものじゃないから、証拠がないから、始めは自分で自分の感覚を疑っていた。
まだ常識や固定観念や一般論ってやつにガッチガチに縛られてたから。
でもわかってしまう、受け取ってしまうこの感覚を、
否定したくもない。
これが
「私は理解されない」の素。
「わかってほしい!」と「簡単に理解されてたまるか!」のジレンマの素。
自分で自分を理解していないから言葉で表現できなくて、
内側でぐるぐるエネルギーが滞って重たくなる。
感受性のレベル(優劣ではない)が合う人とは、あまり説明しなくても本当に話が合う。実際そういう友人もいる。
そういう人がいてくれることは救いだし、一緒にいて楽でもある。
でも社会で生きていく上で、そこまで合う人ばっかりではない。
必要があれば、自分の内側のことを言葉で説明する場面も出てくる。
それは「しなければならない」のではなく、「自分のためにする」。
「どうせ理解されない」と決めつけて逃げるのは簡単。
でもそれは自分の思い込みだし、自分から周りに壁を作っているだけ。
勝手に周囲を敵とみなし、自分で自分を息苦しくしている。
目に見えないことを話すのは、目に見えることを話すよりも、怖い。
馬鹿にされるかも知れない、理解されないかも知れない、
傷つくかも知れない。
でもこれも、自分が自分を信じていないから。
誰かに理解されないことで、自分の価値が落ちると思い込んでいるから。
全ての人に理解される訳がない。
もしも馬鹿にする人がいたら、それは自分でなく相手の都合。
周りの反応や評価で、自分の価値は左右されるものではない。
そう思えるようになったら、生きるのが楽になるし、
自分で自分を愛したら、敵は現れなくなる。
現実は自分の内側の投影。
「自分を守らなくちゃ」
と思っていると、
”自分を守らなくちゃならない現実”が出来上がる。
つまり、攻撃してくれる敵の役割が現れてくれる。
自分を愛すると、世界が反転する。
自分を愛することの始まりは、
自分を知ること。
まとめ
感覚を言語化するのはエネルギーがいる。
でも感受性が豊かな分、感覚でわかっているだけで表現をしていかないとエネルギーが滞る。
言語化することは自分を理解することになるし、
「私は理解されない」という思い込みを解消することにも繋がる。
生きやすくするためにも、
”自分”を大切にするためにも、
感性を磨き言葉を使って表現していきたい。
かなり散文でしたが、
読んでくださった方、ありがとうございました^^