おはようございます!東京は久しぶりの快晴で気持ちいい朝です(*^^*)
長めです!
私は沖縄県の陽明高校出身なのですが、当初はずっと浦添高校に進む予定でした。
理由は、「文武両道」のイメージだったから。(あと仲良くしてもらってた、恋してる勢いで大好きな先輩(女)がいたから(笑))
だけどJOCの九州予選で敗退して、それが悔しくて悔しくて、高校では絶対日本一になりたいと思って、
正直頭が良いというイメージは皆無(笑。文句じゃないんです)だけどそのとき春と国体で日本一になっていた陽明高校の故 新里泰一先生に教わりたくて、急遽進学先を変えました。(当時中学校の先生からは、「茉莉枝陽明で友だち出来るかね〜」と心配されていたくらい、いわゆる「柄じゃない」進路選択でした。)
イメージとか捨てて、自分が本当にやりたいことを追求するための「自分軸」での選択。
そしてそのときの恩師に教わっているうちにいつの間にか「この人についていけば日本一になれる。」と思っていました。三冠を目標に頑張って、そして春は日本一になることができました。
その恩師の指導は一人一人の個性を生かしながら楽しくて自由なハンドボールで、
とても愛が溢れる人で、人としてとても大好きで尊敬していて、その人に出会って私には、「ハンドボールの指導者になって日本一になりたい。先生みたいに、『この人についていけば日本一になれる』と思われる指導者になりたい。」という夢ができました。
だけど昨日初めて、「『ついていけば日本一になれる』と思われたらダメだ。」と思いました。
決してその恩師が私にそう思わせていたのではなく、私が勝手にそう思っていただけなのですが、
尊敬するが故に「指導者の言うことを聞いていれば大丈夫!」「先生みたいになりたい!」になってしまっていた。
そして大学の進路選択から、いつの間にか他人軸で物事を考える割合が強くなっていた。31歳の今まで、恩師の教えである「守破離」の「守」で止まったままだった。
真面目で優等生、先生の言うことをよく聞く、他人に迷惑をかけない=良い。じゃない。自分の意見を持ったり自分で考える力がないと、競技のステージが上がったとき、ハンドボールから離れたとき、行き詰ってしまう。
日本の部活動やスポーツではまだ、「指導者=絶対的存在(と思わなければならない、思うべきだ)」という無意識が根強いと思います。
抑圧して出る結果も確かにあるかもしれない。でもそれは指導者の自己満足だと私は思います。その選手の人生を考えたときに、それでは自立を妨げることになってしまう。
私はやっぱり、
全力の「好き」「楽しい」「のびのび」「ワクワク」で勝ちたい!それは奇跡じゃないことを証明したい!これはブレないでいたい!
甘い夢物語で言ってるんじゃなくて、それには「自立」が必要で自分次第でどうにでもなるからこそ難しい。でもだからこそ可能性は無限大であるとも思う。
私は守破離の「守」は全力で教えるけど、そこ止まりで型にはめたくない。人は一人一人素晴らしい可能性を持っている。みんなからそれを教えてもらったから、指導者として「破」への道を指し示したい。(「離」の境地はまだわからない(^_^))
自分らしくのびのびプレーしているときのみんなのキラキラはヤバい!心が熱くなります。
友だちに、「親は子どもに親にしてもらうって言うけど、監督は選手に監督にしてもらうんだね」と言われました。本当にそうだなと思います。
みんなの監督になって、みんなと向き合うことで自分と向き合って、自分を確立させてもらっています。
秋リーグも残すところあと2戦。がんばります!
読んで頂きありがとうございました(^^)