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「褒められて伸びる」「叱られて伸びる」…???

こんばんは~(^^)

 

 

 

今日はタイトルそのまんまの通りの内容です!

 

あくまでも「私の意見」です(^^)1つの意見として、ご参考までに☆

 

 

「褒められて伸びるタイプ」とか、「叱られて伸びるタイプ」とかって表現あるじゃないですか、なんとなく腑に落ちない自分がいました。

 

で今日、「あーそういうことね!!」と自分の中でなるほどな解釈がふと降りてきました。

 

例えば、かわいい女の子がいて火がつきやすいサンジみたいなタイプか、逆境があって俄然やる気が出るゾロみたいなタイプはあると思うんですよ、

でも二人とも本質は変わらないじゃないですか。サンジが叱られても、ゾロが褒められても、どうせ頑張る。どっちもなくても自分がやりたければどうせやる。自分の実力を発揮するためにやることやその姿勢は変わらない。

 

周りの反応や評価、試合に出ているか出ていないかなど、外で起きていることっていうのはあくまでもプラスαでしかない。

火の付きやすい条件には性格とか気質とかで個性があって当然だけど、それで自分の在り方が変わるのは、自立していないからだと思います。

 

 

試合に出ているから頑張るのか。

逆も然りで、試合に出ていないから努力するのか。試合に出だしたら、努力しないのか。

それってなんのため?誰のため?

「私はハンドボールが好きだから!楽しいから!」

原点はそこじゃないのかな。

 

 

「試合に出ていない自分は価値がない。評価されない。」

そんなことない。

自分の外で起きていることによって、その人の存在価値は変わるものじゃない。

だからその人としての「在り方」は変わらない。

 

別の角度から言えば、本人が現状に本心で満足しているんだったら無理に頑張り過ぎる必要はないと私は思う。

自分が本当に望んでいないのに、「周りの評価=自分の価値」だと思い込んで、期待に応えようと無理矢理頑張り続けるのは、本人が辛くていつかパンクするし、好きだったもの嫌いになっちゃう。それはすごく悲しいです。

 

だから周りの大人もそうさせたり、そういう風に考えてしまうように接してはいけないと思います。

 

 

 

 

現象に幸せにしてもらうんじゃない。自分で「今の自分」をまるっと認めて、受け入れて、既にあるものにもっとフォーカスして、

花に虫が集まってくるみたいに、木に鳥が休みにくるみたいに、

ただ自分のままで在るだけで、引き寄せ合う。本当の信頼関係ができる。

 

探さない、待つの(キラーン+.*)(ブルゾンちえみさまー!!)

 

 

 

でもだからといって、人の意見に左右される自分を否定しなくてもいいとも思います。

それは周りの意見を受け入れることができる、ということだと思うから。

 

物事には「良い」か「悪い」かの偏りは無い。ニュートラルに。

 

本当の自分がわからなかったり、周りの目を気にしてありのままの自分で堂々といるのが怖いのは、脳がそういう風に考えるようになっちゃった原因があると本で読みました。過去の後悔や未来への不安を考えてしまうこと、そしてそれが怒りと自己嫌悪の繰り返しになってしまうことを、やめたくてもやめられなくなっちゃった原因が。

自分が悪い、おかしい、心が弱い、

んじゃない。

 

 

人は生まれて、赤ちゃんのとき、幼いとき、自分の力だけでは生きていけない。それは当たり前。

生きるために、育ててもらわないといけない。

だからそのときに育ててくれる人が例えばどんなに人間として最低でも、その人なしでは自分は死んでしまうから、

もし酷いことをされたとしても、脳が本能的にその人を綺麗な存在に書き換えたり、そのとき受けた傷は処理しきれずに整理されずに、そのまま大人になっちゃうんだそうです。

 

だから、親が子どもに与える影響は計り知れないです。

 

 

 

親の心の中の欠乏感や葛藤は、抱っこしている赤ちゃんに「死の恐怖」として伝わるそうです。

 

自分の子どもに限らず、大切な人が傷付くのは、自分が傷付くよりも辛い。だからこそ、本当に大切な人の本当の幸せを祈るなら、まず自分を自分で幸せにする。

 

そして親も指導者も、子どもや選手に自分の分身として接してはいけないと私は思います。血が繋がってても、子どもでも、一人の人間。

「なんでわからないんだ!」とあれこれ自分の価値観を押し付けたり、「この子を苦しませたくない!」「守りたい!」と制限したりするのは、自分を守っているだけ。

 

押さえつけたり、なんでも面倒見たり、すぐに手を差し伸べたりするのは、「自分の存在価値を見出す」ために、「相手に幸せにしてもらう」ために相手をコントロールしようとしていることになると思います。それは依存だし、相手の自立を妨げる。

 

親子でも、友だちでも、夫婦でも、

師弟でも、指導者と生徒(選手)でも。

 

 

 

本人が自分と向き合って自分で考えて自分で気付く、その可能性を信じてただただ受け入れる。

相手にとって本当の幸せを考えたとき、

言いたくなることがあっても言わない選択をすることが必要なときもあると思います。

 

 

そういう意味で、指導の観点から言えば、「教える指導(教育)」と「教えない指導(支援)」のバランスが大事で、それは相手によって柔軟に対応していくのが愛かなと私は思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日で10月が終わりますねー!

11月だ!!早い!!

 

 

読んで頂き、ありがとうございました(^^)

 

 

 

 

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