大人になると、どうして素直になることが難しくなるんでしょうか。
それはやっぱり、立場や年齢、関係性っていう、目に見えるものに囚われすぎているからだと思います。
大人だから、子どもの前では完璧じゃなくちゃいけない?
先生だから、生徒の前ではいつも正しくなければいけない?
指導者だから、選手の前でいつも冷静でいなくちゃいけない?
自分が、子どもの頃、生徒の頃、選手の頃、
常に正しくて冷静で、完璧な大人を好きだったっけ。
そうじゃなかった気がする。
気分屋でも、ハンドボールの専門性が高くなくても、意味不明なことを言う時があっても、
合宿所のスリッパがバラバラだったことに怒って、その時すぐやればいいのにわざわざ夜中の1時から練習になってめちゃくちゃムカついても、
いつもありのままで、間違っても笑ってごまかして、
高校生の私たちを「一人の人間として」見てくれていて、
私たちに心を開いていて、
愛して信頼してくれていることなんか当たり前すぎて、
誰よりも先生自身がハンドボールを楽しんでいて、
だから私たちも先生に心を開いて、人として愛して、信頼して、ハンドボールを心から楽しむことができた。
だからこそ、自分の力を最大限に発揮することができた。
「私たちは絶対にできる」と信じていた。
怖いものは何もなかった。
やっぱり相手は鏡。
自分から心を開けば、相手も心を開く。
年齢や立場の前に、お互いに同じ一人の人間。
まずは自分から心を開くことをしていきたい。
「愛こそすべて」だと信じていることを背中で見せていきたい。
これからは、それが当たり前になっている自分を目指す。
自分に心を開いて、愛して信頼しているからこそ、
相手にも心を開いて、愛して信頼することができる。
自分はできると信じられるから、相手もできると信じられる。
まずは自分。
私は、なんで自分が急にこんなことを書きたくなるのかわからない時があります。
気づいたらいてもたってもいられなくなって、
指が勝手に動いている感じがします。
言葉にするとしたら、
自分だけど、自分じゃない人が書いてるみたいな、
何かに書かされているみたいな感覚です。
そういうときに書くことは、ふと我に返って読み返してみると、
恥ずかしくなったり、人の目が怖くて消したくなったりすることもあります。
こんなこと言ったら、バカにしたり、自分のこと過信しすぎだって思ったり、
頭おかしいって思ったりする人もいるかもしれないっても思います。
怖いなら逃げればいいのに、やめとけばいいのに、
なんでわざわざ自分から火の中に飛び込もうとするのか、
わざわざ自分から傷つきにいくようなことするのか、
強がって、出しゃばって、反感を買うようなことをするのか。
なに考えてんだこいつバカじゃないかって、
自分で思う時もあります。
でもひとつだけ自信を持って言えるのは、
”すべてのことには愛がある”
と、思っているということです。
素直になりたいです。恐怖を超えたい。
読んで頂きありがとうございました^^