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パターン脱却、ゲーム終了

良い人ゲーム

どれだけ受容できるかゲーム

 

を、していたことに気づいた。

 

それが自分の”パターン”だった。

 

 

現実に現れていることの背景には無限の可能性があること

例えば「嫌なことをされた」=「嫌われている」ではないこと、

相手には相手の事情があること、本人の内側で何が起きているのかは絶対にわかれないしわかると思っちゃダメだしわかる必要はないこと、

 

これは間違いないとは思う。

 

だけど、だからと言ってその行動を自分が無理矢理受け入れようとする必要はない。

苦しい思いしてまで我慢する必要はない。

 

 

我慢の必要な領域に入ると、執着になる。

思い通りにいかないことを、相手のせいにしてしまう。

だけど心の奥底ではそれはしたくないから、葛藤する。

 

 

あくまでも

”私がそうしたかったからしてきた”

だけであって、

できない、やりたくないならやる必要はない。

 

健全な心の境界線を守る。

 

 

 

 

 

人に合わせて、我慢して、

悲劇のヒロインでいることは楽。

「私は器が広いよ〜」の自己満足で、

そこに自己価値を置こうとしていた。

その根底には「そういう私じゃないと嫌われる( ;  ; )」があった。

 

不足感からの行動は負のループ。

 

 

これが私のパターンだった!

 

あっぶね!昔と同じこと繰り返すとこだった・・・!

繰り返したくないから、大切にしたいからこその、

パターン脱却、ゲーム終了!

 

ちょっと怖かったけど^^;

 

 

私は(現段階で)できることはやり切った、悔いはない、

あとはなるようになるしなるようにしかならない。

 

ありのままの自分でいて離れるならそれまで。

どんな人間関係においても。

 

 

 

 

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