タイトルの答えとして一番しっくり来るのは、
ただの器
だってこと。
”自分”っていう人間はただの器で、借り物で、
育ってきた中で受けた教育や洗脳による、”普通”とか”世間体”とか”物質”に囚われた価値観、固定観念などが詰め込まれていて、
それが自分だと思い込んでいる間は不安や焦りなどのネガティブと言われる感情を感じる。
ネガティブだけではなく、ポジティブもそう。
誰かや何かに勝つ、お金を稼ぐ、結婚する、といった現実を手に入れたことによって得る喜びや満足感も、元を辿れば現実に囚われているから発生する。
在りたい自分の姿であるための通過点として現実を手に入れた上で発生する喜びとは違う。
(例えば、アスリートにとって競技レベル=自己価値、となっていたり、HSPやLGBTQなどの概念に自己価値を置いて依存している時期なども当てはまる。)
だけど”それら=自分”、ではなく、
単に”私を構成する要素だった”と気づき、
要素ひとつひとつと丁寧に向き合って相殺や統合して、固定観念を外したら、
今まで囚われていたものたちがどうでも良くなって、
ただの器になるんじゃないかって。
自分は特別でも普通でもなんでもなくて、ただの器で、
それに何かを入れたいのか、
何も入れないのか、
入れるなら何を入れるのか、
入れずに器であり続けるのか、
なんだと思う。
どちらにしても、人間の姿は借り物であり、
この借り物があるおかげ地球での今生を体験できているので、
自分の体と心は大切にしてあげないといけないなと思います^^