今日は、落語とヨガを体験しました〜♫
ちょっと長いけど、2つを通して大事な気づきがあったので、
よろしければお付き合いください〜^^
落語
立川志ら乃さんと、いちゃりば亭和楽さんの落語を聴いてきました☆
立川さんがこんなことをおっしゃっていました。
落語ってのは、落語家とお客さんが共同で作り上げるもの。
こっち側が喋ってることを、そっち側が想像するから成り立つ。
それを聞いて初めて、自分が想像していることに気が付きましたΣ(・□・;)
そっか、音声も映像もあると確かにわかりやすいかもしれないけど、
映像がないことで自然とイメージしようとする。
そしてそれって指導や教育においても通ずるのかな、って思いました。
自分でイメージした方が、記憶に残りやすい。
”わかりやすさ”と”わかりにくさ(が故にイメージさせること、考えさせること)”の両方をうまく使うことって大切なんだろうな。
聴いてるうちに自然とその世界に入り込んでいた。
圧巻のパフォーマンスでした。
お客さんを笑わせるというのは、声の抑揚や話の間、表情など、話術でいかにお客さんを惹きつけ想像させるかが大切なのかな〜、
と、素人ながら落語家さんの目線に立っても考えていました。
なんでこどもが絵本の読み聞かせをして欲しがるのかって、
やっぱり小さい頃って想像力が豊かで、聞くことでどんどん世界を想像=創造して、
そこはもう現実世界となんら変わらなくて、
その世界を楽しんでいるからなんだろうなーと思いました。
大人になるにつれ素直に想像できなくなるのかもしれないな^_^;
もしかしたら、素直に想像するのが怖いのかもしれないな。
世間、社会、固定観念、
そういったもので凝り固まっちゃうと、想像と現実のギャップに傷ついちゃうかもしれないから。
自分の夢や望みに素直になれないことも、おんなじことかもしれないな。
なんてことを考えました。
いくつになっても、素直に想像していたいな^^
そしてこどもには、いっぱい読み聞かせしたいな〜と思いました。
私そういえば、読み聞かせが得意です!小学校の頃、「童話お話大会」なるもので、学校代表に選ばれたんですよ(#^.^#)
ところで、落語の「落」って、話のオチのことなんですね。知らなかった・・・
てかオチの語源が落語か笑
私はよく「話のオチがない!」と言われるので、とても勉強になr
ヨガ
先日「魂震える教室に出会ったー泣」と書いたそのレッスンに行ってきました^^
本当に、心と体と魂を繋ぐことは大切で、
ヨガはそれを教えてくれます。
私は東京にいた時に、とても素敵なヨガの先生に巡り合うことができていました☆
その方のおかげで、体と会話することでこの3つを繋ぐことの大切さを学びました。
そしてそれは競技スポーツにおいても言える事なのだけれど、
私が思うに日本の競技スポーツ界はこのことに関してはまだまだ伸び代があると考えています。(個人の考えです☆)
現役時代って、これを学ぶのにとっても好条件な時期だと思うんです。
そしてそれを知っていれば、競技を引退した後の人生にも大いに役立つ。
アスリートは競技に全力投球する分、下手すると競技生活によって自尊感情が大きく傷つくこともあると思います。
せっかく、いろんなものを犠牲にしても良いと思うほど大好きな競技に一生懸命取り組むという貴重な経験をするのに、
そんなことになるのは本当に悲しいことだと私は思うんです。
そしてそれは、指導者側の責任が大きいと思います。
競技の勝敗が一番大事なのではなくて、
競技を通して自分を知り、大切にすることで、他者とより良い人間関係を築く力を養うこと、
選手が引退後、本当に歩みたい人生を生きる力をつけることが大事なんだと思います。
そのために、
時に先導し、時に支援し、時に後援するのが指導者だと考えています。
私はいずれまたハンドボールの指導者をやりたいです^^
その時には、ヨガを練習に取り入れたいと思っています♫
最後の戯言
やっぱり人やクリエイティブなものに触れるって大事。
感情動くもん。
孤独と向き合うのは大切だけど、
誰かとどうでもいい話することも超大切!(多分女性は特にw)
環境的な要因とかであんまりにも自分と向き合う時間がありすぎて、
ある意味で穏やかにはなったけど感情が湧くことが少なくなって、それ面白くなかった(・_・
一人になりたい症候群だったのに、もう十分やったんで強制的に追い出させてもらったかなwありがとう♪(´ε` )
だからこれからはまた一つ解放された私で、人と関わって行くんだろーな
ありのままの自分を生きて、好きな人間関係を作る。
自分の輝きを認めるのは怖い。
でもダメね!自分自身の上昇止めちゃ!
よし、またここから少し、自分との勝負だ!
読んで頂き、ありがとうございました^^